Extremely loud and incredibly closed

今日9月5日
Netflixでextremely loud and incredibly close を観た。

昨日茅ヶ崎に栗拾い行って1キロ買って来たので栗むきしながら観た。

アメリカの9•11で父親を亡くした少年の話だった。
特に観ようと思ってではなくて、だけどトム•ハンクス、サンドラ・ブロック出ているのでそれなりかもって思いながら観た。
マックス•フォン•シドウも出てた。これまたどんな役柄か興味深い。するとやはり彼らしく意味ありな役だったけど。

トム•ハンクス扮する父親が亡くなる、サンドラ・ブロックは映画前半では息子と行き違う母親役。

9•11で突然亡くなった父親の死を受け止め切れない少年、父親が残した鍵が意味するもの、その鍵に合う物は何かを探す毎日を送る。

その途中祖母の家で間借り人役のマックス•フォン•シドウと出会う。

その後は彼と一緒に鍵の謎解きに出歩く。

少年は、彼が実は自分の祖父ではないかと気付く。
自分の父親と仕草が似ている、祖母のはっきりしない態度。
父親が生きてた時に自分に話してくれた祖父の事などからそう思った訳だが、その祖父は話すことが出来ない。筆記で意思疎通する。

その祖父は、しかし鍵の謎解きを途中で止めることになった。しかし少年は諦めずとうとう鍵の持ち主を見つけ出す。

そしていよいよ鍵の謎解きが始まる。しかし、鍵は少年にとって結局意味するものは何もなかった事がわかる。

鍵の持ち主にとっても時は既に遅かったらしいが。

ここで少年は誰にも話せず、心の奥底に閉じ込めていた話を見ず知らずの鍵の持ち主に話す。

自分の父親が亡くなる直前、自分に電話をくれたにも関わらず、その電話に出る勇気が無かった。何回も電話がなって、父親は自分が其処に居るのを知ってたのに、電話に出なかった自分、こんな自分を許してくれるだろうか?と見ず知らずの鍵の持ち主に尋ねるのだった。

私は少年が見ず知らずの鍵の持ち主に、父親の最後の電話に出なかった自分を許してくれるか?と尋ねて、見ず知らずのその彼が許すと言ったシーンに泣けて泣けて…

全くの他人に許しを請わずにおれないぐらい自分を追い詰めて、責めてしまった少年の心境を想像すると辛くて泣けてしまった。
でもこの時、少年は正直に自分の弱さをさらけ出せて、実は気持ちが楽になったのではないかと思う。
本当の自分と向き合ったのではないだろうか?
そして嫌な自分をみてしまい、それを分かった時に嫌で嫌でどうしようもなくなったのでは。

そんな自分でも自分で乗り越えなくてはならないのが自分なんだろうが、其処までは多分まだ難しかったかもしれない。

少年は鍵の持ち主と話し終わり、その場を逃げるように走り去り家に帰って来る。
鍵の謎は解けたのに、行き場のない思い、結局自分がしたことは何だったのか分からず暴れる事しか出来ない少年。ここで母親が少年に向き合うけど今までのように少年は反抗しない。少年は自分をさらけ出せて強がりをする必要なくなって、やっと母親とお互い素直に話す事が出来て分かり会えるようになる。

私はこのシーンもサンドラ・ブロックの演技が上手くて泣けたが、クライマックスは、やはり鍵の持ち主に許しを請う場面のような気がする。

本当の自分と一瞬でも向き合えるということはとても幸せなことだと思ったので、まだまだ少年だったとしても大切な時間だったと思う。

このタイトルについて、母親の事だろうと思う人が多いらしいとはネットで検索したら出て来たが、私は違うと思った。
かといって、では何かと言っても正直良く分からない。

でも、とてつもなくうるさい事、面倒ごとが自分自身を含め回りにいっぱい有るけど、結局一番近くに居るのは自分自身なんだよと言う事ではなかろうかと思う。
自分自身、それこそ信じられないほど近い存在。逃れられないのである。