人生で何回めの引っ越しだろうか?

2023年9月引っ越し、遂に神戸に戻る。

2021年に兵庫県神戸市から神奈川県藤沢市へ。2023年1月に藤沢市から大阪へ、そして9月に大阪から古巣の神戸に戻ってきた。たった3年で3回目、やれやれだ。いろんな事情があるから引っ越したのだが、神戸から藤沢に行く時は仕事も辞めて整理しながらの引っ越し。今思えば相当の荷物を処分したが無我夢中だった。すいすい片付け出来た。

次は私はやっぱり神戸に戻るべきだ、と何故か強く思った。娘が近くに居る、孫達にも会える、と言うことない条件なのに何故?と思うが娘達近いと近いだけにもっと会えない寂しさがあった。

ならば関西が性に合うし、と言うことで大阪姉の所にひとまず身を寄せようと引っ越し作業。この2回目もそれほど苦にならず。そしてやはり物をたくさん処分したが、今思えば処分し過ぎた。

さて、という訳で大阪でいよいよ神戸の物件探しスタート。

この時物件購入するか賃貸にするか?で随分悩んだが、今更購入するってどうなの?ということで賃貸物件見つけて引っ越し。この時3回目、結構サクサク出来たと思うが2年前に比べるとさすがに重たいもの持てない…仕方ないか。

でも、はてさてこれで最後か?

神戸にせっかく戻ったのに藤沢が妙に懐かしく思い出されるこの頃、娘達の近くが良かったのか?

実際神戸の姉妹達、友達みーんな高齢者だ、この先皆居なくなっても神戸が良いと思うかしら?

私自身、神戸の土地が心底良いと思っているのか、知ってる人が居るから良いと思ってるのか情けないが、答え不明。

まぁ何とかやるしかないが…

それにしてもその前に何回も引っ越ししてるので1つ所に落ち着けない性分か?

いろいろ考えても仕方ないので今は神戸LIFEを精一杯楽しむことに。

アレ ARE ソレ SORE

きのう姉と話す。

宗教について神様はいるか?

姉は神様の事をソレと言うことにしたと言うので、アレが今年の流行語大賞だったので影響受けたようだがなかなか良いと思った。神様は見えない…でも近くにいる。そこら辺あちこちに。究極は自分の心に。身近だからソレはそれで良いと思った。それで宗教については話すと長くなるので今回はソレだけにする。

人生変わった瞬間

今週のお題「人生今週のお題「人生変わった瞬間」

私の年齢になると「人生変わった瞬間」ひとつに絞れない。

人生節目節目にその都度何かが起きて変化してきたと思う。

先日は徹子の部屋舟木一夫がゲスト、その時に少しだけ歌を口ずさんだ瞬間、こんなに歌が上手い人だったのか!と。そしてデビュー曲の高校3年生を聴いて私の歌謡曲に対する偏見は何処に?なんて事!この私が舟木一夫ファンになった?舟木一夫の話に引き込まれ歌声に魅力を感じるなんて、どうかしてるとしか思えない変化に言葉がない。

 

私が小学生高学年か?、中学生の時だったかに父親が都はるみのアンコ椿の歌を聴いて感心していた事、母親が五木ひろしが、歌上手いと言ってたこと等思い出し、両親の言ってる事が今さらのように理解できる自分を発見した。歌謡曲なんてバカにしていたのに。舟木一夫を聴きながら思い浮かべる。

人生変わった瞬間と言うと劇的な事を思い浮かべる。実際それはそれであの時あの経験が有って、間違いなく今の自分がいる。生きて行く上で避けて通れない瞬間は誰にでも訪れる。その瞬間は、人に寄り様々だと思う。その時に自分を見つめ直せる貴重な瞬間を与えて貰う。人生変わった瞬間を何度か経験したと思う今は、この大したことない毎日の中でもさりげない変化の瞬間が有るのが楽しく思える。

 

グラン・トリノ見る

2022年11月27日

グラン・トリノ イーストウッド主演監督見た。

 

2回目だけど、今日みたいに感動しなかった。

今日はこんな良い映画だったっけ?と我ながら驚いた。年齢によってこー受け取り方がこうも違うもんか?

泣けて仕方なかった。老いると死に対して敏感になってるからか?

朝鮮戦争で殺した人最低でも13人、その内命乞いした人を殺した、それで勲章もらって。

でも、その記憶は、ずっと忘れること出来ずにいる、そして死を覚悟の上復讐に向かう。それは相手から撃たれて彼らを刑務所送りにする復讐。

 

クリント・イーストウッドは、老いて尚ますます活躍とは、右翼、タカ派、人生好き放題に暮らした人、とか何とか関係なく素晴らしい目線を持ってると素直に思う。

大彫刻 石に魂をこめる 中国重慶

2022年9月14日

偶然見た。

大工の姜さんが石と格闘する姿、息子にも出来たら後を継いで欲しい、でも自分より芸術を勉強して自分よりもっと良いものを彫って欲しいという言葉。

私は、姜さんで充分素晴らしいと思った。

布袋さん彫る時に、最高の笑顔を彫りたい姿に感動。

良い番組だと思ったら2012年に放映された再放送だった。

世界遺産 時を刻む

中国重慶の元本には個性豊かな石仏が、5万体も刻まれているらしい。なぜ人は彫り続けるのか?大彫刻が今に語りかける。

2012年から10年、その後はどうなったんだろうか?気になる。

良い番組、ありがとうございます!

Extremely loud and incredibly closed

今日9月5日
Netflixでextremely loud and incredibly close を観た。

昨日茅ヶ崎に栗拾い行って1キロ買って来たので栗むきしながら観た。

アメリカの9•11で父親を亡くした少年の話だった。
特に観ようと思ってではなくて、だけどトム•ハンクス、サンドラ・ブロック出ているのでそれなりかもって思いながら観た。
マックス•フォン•シドウも出てた。これまたどんな役柄か興味深い。するとやはり彼らしく意味ありな役だったけど。

トム•ハンクス扮する父親が亡くなる、サンドラ・ブロックは映画前半では息子と行き違う母親役。

9•11で突然亡くなった父親の死を受け止め切れない少年、父親が残した鍵が意味するもの、その鍵に合う物は何かを探す毎日を送る。

その途中祖母の家で間借り人役のマックス•フォン•シドウと出会う。

その後は彼と一緒に鍵の謎解きに出歩く。

少年は、彼が実は自分の祖父ではないかと気付く。
自分の父親と仕草が似ている、祖母のはっきりしない態度。
父親が生きてた時に自分に話してくれた祖父の事などからそう思った訳だが、その祖父は話すことが出来ない。筆記で意思疎通する。

その祖父は、しかし鍵の謎解きを途中で止めることになった。しかし少年は諦めずとうとう鍵の持ち主を見つけ出す。

そしていよいよ鍵の謎解きが始まる。しかし、鍵は少年にとって結局意味するものは何もなかった事がわかる。

鍵の持ち主にとっても時は既に遅かったらしいが。

ここで少年は誰にも話せず、心の奥底に閉じ込めていた話を見ず知らずの鍵の持ち主に話す。

自分の父親が亡くなる直前、自分に電話をくれたにも関わらず、その電話に出る勇気が無かった。何回も電話がなって、父親は自分が其処に居るのを知ってたのに、電話に出なかった自分、こんな自分を許してくれるだろうか?と見ず知らずの鍵の持ち主に尋ねるのだった。

私は少年が見ず知らずの鍵の持ち主に、父親の最後の電話に出なかった自分を許してくれるか?と尋ねて、見ず知らずのその彼が許すと言ったシーンに泣けて泣けて…

全くの他人に許しを請わずにおれないぐらい自分を追い詰めて、責めてしまった少年の心境を想像すると辛くて泣けてしまった。
でもこの時、少年は正直に自分の弱さをさらけ出せて、実は気持ちが楽になったのではないかと思う。
本当の自分と向き合ったのではないだろうか?
そして嫌な自分をみてしまい、それを分かった時に嫌で嫌でどうしようもなくなったのでは。

そんな自分でも自分で乗り越えなくてはならないのが自分なんだろうが、其処までは多分まだ難しかったかもしれない。

少年は鍵の持ち主と話し終わり、その場を逃げるように走り去り家に帰って来る。
鍵の謎は解けたのに、行き場のない思い、結局自分がしたことは何だったのか分からず暴れる事しか出来ない少年。ここで母親が少年に向き合うけど今までのように少年は反抗しない。少年は自分をさらけ出せて強がりをする必要なくなって、やっと母親とお互い素直に話す事が出来て分かり会えるようになる。

私はこのシーンもサンドラ・ブロックの演技が上手くて泣けたが、クライマックスは、やはり鍵の持ち主に許しを請う場面のような気がする。

本当の自分と一瞬でも向き合えるということはとても幸せなことだと思ったので、まだまだ少年だったとしても大切な時間だったと思う。

このタイトルについて、母親の事だろうと思う人が多いらしいとはネットで検索したら出て来たが、私は違うと思った。
かといって、では何かと言っても正直良く分からない。

でも、とてつもなくうるさい事、面倒ごとが自分自身を含め回りにいっぱい有るけど、結局一番近くに居るのは自分自身なんだよと言う事ではなかろうかと思う。
自分自身、それこそ信じられないほど近い存在。逃れられないのである。

2022年8月21日

年金生活
仕事を2021年10月で終えて約10ヶ月、
まだ実感ない。

自分だけの時間を楽しむようにはなった。

今日は辻井伸行さんを初めてYouTubeで見て感動。

アメリカでチャイコフスキーをオーケストラ楽団員、指揮者と弾く模様、
アイスランドではサマータイムをレストランで楽団員達と即興で弾く姿、
ニューヨークでベートーヴェン皇帝

全てスゴイ!

たっぷり感動しまくり。

こんな時間を過ごせる幸せをありがたく思う。

色々なことに触れる事が出来る。
そんな世界、こんな出来事あるとか。
晩年にそんな時間を与えられてるような気がする。

ひとりで見聞きしているだけでも貴重と思う。

いろんな映画再視聴したり、今まで読んでいなかったジェーン・オースティン読めたり。

ほんとうに有難い。