愛するということ

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あんずの中に憎しみと言う言葉はない。
今ボールを取られないように、ずっと持っていられるかどうかが問題なだけだよ。


どうしたら愛することができますか?
という問いにクリシュナムルティ(20世紀最高の覚者の1人であるとする声が多く、タイム誌によりマザー・テレサらと共に現代の5大聖者に数えられた。-ウィキペディアによる)は答えている。

どうしたら愛せるか? 
どうすれば愛せるのかは、誰も君に教えられません。もしも人々が、どうすれば愛せるのかを教えられたなら、世界の問題はとても単純になるでしょう。どうすれば愛せるのかを数学を学ぶように本で学べたならば、すばらしい世界になるでしょう。憎しみもなく、搾取もなく、戦争もなく、貧富の差別もなくなり、みんなお互いに本当に仲良くなれるでしょう。

しかし、愛はそれほど簡単には得られません。憎むことは簡単です。そして、憎しみは曲がりなりにも人々をまとめます。あらゆる種類の幻想を生み、戦争のときのようにさまざまな形の協力をもたらします。

しかし、愛ははるかに困難です。どうすれば愛せるのかは学べませんが、できることは憎しみを観察し、それを優しく片づけることなのです。憎しみに対して闘ってはいけないし、人々を憎むとはなんてひどいと言ってはいけません。憎しみはありのままに見て、捨てなさい。片づけなさい。重要なものではありません。重要なのは、憎しみを心に根づかせないことです。

理解できますか。心は豊かな土に似ています。充分に時間を与えると、やってくるどの問題も雑草のように根づきます。そのときには抜き取る苦労を抱えます。しかし、問題に充分に根づく時間を与えなければ、そのときには育つ所がないので、枯れてしまうでしょう。憎しみを励まして、根づいて育ち熟する時問を与えるならぱ、とてつもない問題になってゆくのです。しかし、憎しみが生じるたびに逃がしてやるなら、そのとき心が感傷的にならずに、とても敏感になることに気づくでしょう。したがって、愛を知るでしょう。

さて、??できるでしょうか??